2014年12月22日月曜日

超個人主義? の話。

また、少し間が空いてしまいました。

最近、身近なところでチームラボの猪子社長の記事が話題になって、「もしかしたら最近自分が考えてる(色んな人に話をしてもいる)事」と関係があるかも、と思ったのですが、実はあまり関係なかったので、改めてBlog記事を書くことにしました。(猪子さんは、自分と同じ年に生まれてるんですね、凄いなー ...って同年代で立派な仕事をしてる人なんて他にも沢山いるわけですけど)

さて、実際にリンク先の記事を見ても本文には載っていないのですが、記事のタイトルは「アメリカはチーム主義、日本は超個人主義」というものでした。日本人の個人主義というテーマについては、自分達のビジネスである業務用アプリケーションパッケージ、特にECMについて国内での活用がうまくいっていないという状況の説明として、これまでずっと考えてきたことだったので、似たようなことを言っている人がいるのかな? と思ったわけです。実際には私が考えていたような就業観だとか企業文化といった話ではなく、教育の話でした。(それはそれで面白かったですし、共感するところもあるお話でしたが)

最近、この就業観についての話をする機会がとても多くなりました。ECM委員長なんて肩書きをもらったからかもしれません。どういうお話かというと、日本においてはカンバン方式的に「後工程(上司など)が本当に必要とするまでタスクを自分のところにキープする働き方」が当たり前だし、場合によっては奨励されているということです。

4koma

4コマ漫画的なものを描いてみました。ここで仕事を指示された人は、「別の仕事を振られたら面倒くさい」というネガティブな意味においても、(漫画では表現しきれませんでしたが)より現場に近い見地から上司が把握していないだろう状況の変化にともなう変更の発生時のフットワークを重視するというポジティブな意味においても、最後まで主体的に成果物の提出をしていません。結果的に当初期日よりも提出行為自体のタイミングは遅くなっています。

日本の場合はこれでよしとされるケースはままあるんじゃないかと思います。提出をしてなくても正味の仕事自体はちゃんとやっていた、と考えられるからです。

しかし、欧米で設計されている業務システム、例えばECMやBPMの場合、この辺の感覚が違っているように感じます。チーム/組織/会社に対して自分に与えられた分の仕事の結果を届けてはじめて仕事の区切りがつく。それは、それ以上の仕事はやりませんよ、というディフェンシブな態度にも見えますが、何かあったときに自分以外の人が対応をとれる状況を作っている(属人化を防いでいる)とも言えるわけです。

この2つの考え方の違いは、今では後者の方が説得力を増し始めていると感じますが(そして我々が導入支援を行っているコンセプトも技術も原則その立ち場に立つものだったりしますが)、本来はどちらか一方が正しいという性質のものではないように思います。ただ、ことITに関する限り、こういうものはグローバルにあわせておいた方が色々と合理的だとは思いますけどね!!

(追記 12/24)ごめんなさい。4コマ漫画的なものを「描いて」みました。って書いちゃいましたが、絵自体はツールのシェイプをそのまま貼っただけです。

(文責 Ishii Akinori IT-Coordinator)