弊社、株式会社イージフは今日2月22日で10周年を迎えました。
20代の終わり頃勢いに任せて作った会社が節目を迎えたことを、まずは素直に喜びたいと思います。
私ともう一人の取締役である加納は社長の藤井の新卒同期、さらにもう一人の創業メンバーである野口は「会計士としての」藤井の同期で、年齢も近く、ほぼ何の実績も後ろ盾もないところからのスタートでした。
私はサークルの後輩たちにまで就職活動をしていることを疑われるぐらい実社会向きではないタイプだったはずなのですが、ある日実験の結果がうまくまとまらず純度100%の冗談のつもりで「就職でもしますかね」と言ったのを研究室の先輩(厳密には社会人からの出戻りなので登録上は後輩でしたが)に聞きつけられてしまいました。その先輩の代理エントリーの結果、気がついたら外資系のコンサルティングファームに就職していました。(当時は「お姉ちゃんが勝手に申し込んだ」ミスコンやアイドルオーディションのようなものだ、と言っていました)
就職した先のコンサルティングファームでの仕事は中々刺激的でしたし、幸いコンピュータに関しては実家の手伝いで小学生の頃から表計算やCADのマクロを書いたり、当時流行りだったネットベンチャーでのアルバイトで中小企業向けのシステムを組んだりしていたので最低限の知識はあり、新人なりに役に立てることがあるという意味でもやりがいがありました。(大手企業や大規模システムと自分の知識の間を埋める、ということが入社時点での自分の目的になってました。あまり主体的な目標設定ではないんですけどね)
ただ、大規模なERP導入のプロジェクトでECM関連サブプロジェクトに従事させてもらっている中で、一つの残念な事実に気がつきました。どうやらこの職場・業界ではプログラムが書ければ書ける程給料が安いのです。当時は、技術系のキャリアの先がプロマネだけでいいのか?ということが問題になり始めた頃で、例えばアーキテクトというロールもあり得るのではないか、なんて話があちこちでされていました。一方で大企業の発想や大規模なプロジェクトの力学で中小のそれと一番異なるのはどうやらリスクに対する考え方だ、という結論めいたものも見えていました。(若者らしい薄っぺらい結論だという自覚も一応ありましたよ!)。全体がこけるリスクを抑えることが、部分を積み上げることよりも重視されている。それが技術よりもマネジメントを重んじる理由であると考えました。プロジェクトの全体を見るマネージャーや、それよりも高い視点を持つ経営者が、意思決定のためのより良い情報を持っている、ということが保証される限り、それはそれで良い気もしました。
しかし、このロジックの中では個々のプロジェクトや企業の視点では「部分」しか見てない扱いになる技術者ですが、その技術は世界中で利用され共通の変化にさらされているわけです。その動勢をマネージャも経営者も把握できていません。(世界共通云々を抜きしても、いわゆる「技術的な負債」を担当マネージャーが把握しきれてないなんてこともあるかもしれません)
そんなわけで、当時の私は、技術的な知見を持つ人だけが持つ、良い判断材料というものがあるのではないか、その重要性は高まりつつあるのではないか、という(コンサルティング業界の中では)技術寄りの人間だった自分の我田引水的な発想を暖めていたわけです。そこに、一緒に会社を作らないか?という誘いと、仕事で取り扱っていたエンタープライズ向けソフトウェアのオープンソース版ともいうべき製品が、元の製品を立ち上げた本人の手で立ち上がったというニュースが入りました。それが、弊社とAlfrescoの出会いであり、その後、オープンソース技術のエンタープライズ分野での活用というニッチなテーマに取り組むことになるきっかけでした。
とはいえ、まだ20代。最初の会社でかろうじて覚えたコンサルティング以外の稼ぐ手段をほとんど知りません。地元や大学、新卒時代の友人達の協力を受けながら徐々に仕事の幅を広げていきました。力を貸してくれた人たちは本当に仕事ができる人たちばかりで、長年続いた不景気ムードがなければ、こんな海のものとも山のものともつかない会社に助力なんかしてくれなかったのではないかと思います。今では、技術的な知見についても私はメンバーの水準に達しているのか怪しい限りです。(それでいいのかCTO)
10年。時代が変わった、と言っても良いと思います。オープンソース技術の価値を真剣に考えるべき役目・ポジションは、やはりそれほど経営層の方向には伸びませんでした(CIOには考えてほしいと思いますが、それが必須であるとは言えません)。クラウドの活用によりITに関する意思決定の形が大きく変わった分野もたくさんあります。技術者の地位は向上しています。しかし、それは一定の格差の出現を伴ったものであるようにも見えます。働き方も変えやすくなったと言われています。自分たちは割と好き勝手にやってきたので、その変化についてはもしかすると鈍感なのかもしれないと感じます。
節目の年、ということ自体には多分、特別な意味はありません。できる人は毎日でも自分を振り返ったり目標を見据え直したりできるのかもしれません。そんな人はなかなかいなそうな気もしますが、私がそうした意志の強さにおいて人並みの域に達しているかというと、かなり難しいと思います。そんなわけで、今日改めてこれまでの仕事を振り返ってみました。
私たちの仕事には時として「自分のなら(自分の方が)うまくやれる」という自負が求められることがあります。会社を作ったのも、その一環でした。既存の企業よりも多少なり良い器を作れるのではないかと考えたから「会社」を作ったのです。、、、ということ反省するのを最後にスターバックスをはしごして書き連ねたドヤ顔ポストを締めたいと思います。
(文責 Ishii Akinori)