2016年1月21日木曜日

ECMサミット2016(冬)やります

気がつくと、前回のECMサミット2015以降更新がなかったですね・・・

前回のものについての報告記事は月間IMに書いたのでそちらの紹介なんかもさせて頂くつもりだったのですが、気がついたら次の告知が必要な時期になってしまいました。

ecm-portal

ECMサミットとは

くり返しのご案内になりますが、私が委員長をやらせて頂いている日本文書情報マネジメント協会(JIIMA)のECM委員会主催のイベントで、主要ECMベンダが一同に会して業界の最新動向などをお伝えするイベントです。

ECMは海外での事例の豊富さと比較して、日本ではあまり導入が進んでいない領域です。日本企業のITに対する取り組みや、日本人の就業感など、内外差の理由は色々なところにありそうですが、それらを再検討する上でもこのあからさまに普及度合にギャップがあるソリューション分野というのは興味深いのではないでしょうか。(普及啓発をミッションとしている人間が言ってしまうのは無責任かもしれませんが)

~ECMのミライ~ 知識・協働・ディカバリーの先へ

というテーマになっています。

今回のテーマの狙い 地味な裏メインテーマ『eディスカバリー』

さて、実は数年前にも少しだけ取り扱ったことがあるテーマでもあるのですが、私自身ここ数年の間、eディスカバリーについてももう一度取り上げたいと考えていました。社内にある文書情報を未整理な状態で放置することが、直接的なダメージになりうる、ということを端的に示したテーマだからです。

残念ながら国内企業の多くは、海外企業(より具体的にはアメリカ企業)と裁判になった場合に、タイムリーに証拠となりうる情報を提出するためのインフラを持ちません。アメリカの裁判制度においては、これは非常に大きな弱点となります。日本における文書情報のあり方がこうした問題に対応するのを苦手としていることは、それほど一般に知られていることではないと思いますが、いつの間にかハンデ付きの戦いに巻き込まれてる、という状況をなくしていくために、広く伝えて行く必要を感じていました。

ただ、ECMはディスカバリー(ここでは、アメリカの証拠収集手続を意味しています。それをさらに電子的な情報に拡大したのがeディスカバリー)対策のためのソリューションではありません。ECMを入れることが、ディスカバリー対策の意味ですぐに効果を発揮するかというと、残念ながらそこまでのインパクトはないでしょう。あくまで、対策の土台となる情報の整理ができあがる、というだけです。ディスカバリー自体はあくまで法律分野の問題です。

ちょっと正確性を欠く表現かもしれませんが(ご指摘、お待ちしております)、アメリカのディスカバリー制度では「係争相手が持っている文書」を提出させることができることになっています。我々が想像する裁判は、それぞれが自分に有利な証拠(だけ)を持ち寄って議論を戦わせる、というイメージだと思いますが、アメリカのルールにおいては、裁判の目的に沿っていものであれば本来持ち主が出すつもりのない資料も証拠として無理矢理提出させられてしまうわけです。

これはちょっと不思議な話です。自分に不利になるはずの証拠文書を指定されて開示しろ、と言われても、それは嘘やハッタリの類いかもしれないわけです。実際、該当する資料が無かった場合、当然拒否することになるわけですが、そこで「悪魔の証明」、すなわち、その資料が存在しないことの証明責任を求められることになってしまいます。であれば、難癖の付け放題になってしまうのではないか?

しかし、この制度は長きにわたって存続運用されています。もちろん、裁判所の目が光ってるということもあるとは思いますが、「悪魔の証明」がある程度簡略化されている、ということも重要なポイントです。

「どのような文書情報を、どれくらいの期間、どのように保管しているか」

というルールを定め、その様に運用していると見做されれば、そして裁判に関係ある情報を全量とりまとめて提出できる能力さえあれば、「その中に無ければ無い」と主張できるわけです。

これが、例えばメールはすべて5年で削除というルールがあるのにそれ以前のメールをローカルにバックアップを保存してしまう従業員がいたりすれば、運用実態に疑義が生じてすべてのPCの中身をひっくり返さないと結論がでないことになります。ルール通りに運用されていても、〇〇という製品に関係する資料をすべて、という指定に対してメタデータやインデックスなどの整備がされていないと、本当にすべてを引き出せているかどうかが曖昧になってしまいます。その場合も一目でチェックが必要になるでしょう。(この場合の人目は法律の専門家であることが求められる、とするとその費用が莫大なものであることが想像できると思います)

このあたりの状況を改善するためには、社内の文書情報の管理ルールと、それを支えるシステムの整備が有効である、という結論になるわけです。

でも、いくら大切と言われても裁判の話に興味がある人なんてごく少数ですよね

表テーマ 完成図書管理の限界

ということで、eディスカバリーからは一旦離れて、サブタイトルに知識・協働・ディスカバリーと並べていることの意味についてご説明させて下さい。

要するに、今の日本企業が持つ文書管理規程、文書に関するルールは紙の文書の取り扱いを前提としていて、そのことと現実世界の要請との歪みがとても大きくなってしまっている。それが端的に表れてるのが、ナレッジマネジメントやコラボレーションなどの生産性向上の取り組みとディスカバリーの領域である、ということです。

電子的な文書の比率はどんどん高まっていますが、文書管理規程とIT関連のセキュリティなどの規程と個人情報に関する規定はすべて独立して構成されていることが多いと思います。施策や、場合によっては運用したり管理したりする組織も違っているかもしれません。

こうした環境の中で、文書管理の規程やシステムの役割は、社内で正式にオーソライズされた文書を恭しく正式の最新版として取り扱う、というところに重点が置かれてしまっています。

つまり、「正式な最新版=完成図書」がコンテンツとして完成するまでの過程については、主な関心領域ではありませんでした。

しかし、このコンテンツの作成過程もITサポートによって効率が向上することは自明です。実際多くのツールが提供されてきました。最近では社内SNSだけでなくチャットツールなどのチーム作業への貢献度が見直されたりもしています。もちろん電子メールにより社内外のやりとりもこの領域の情報をふんだんに含んでいます。

昨今問題になっている日本のホワイトカラーの生産性の問題、特に個人による仕事(情報)の抱え込みもここで発生しています。

生産性向上ツールはあると嬉しい。それが会社の正式な文書体系と繋がってるとより美しい。だけれども、投資にあうリターンがあるかどうかは不明だし、従業員も積極的に活用してくれそうにない。したがって様子見、あるいは中央集権的な仕組みには手を出さす部門単位の細かい施策から試す(そして新たなサイロを)、、、というのがECM(だけではなさそうですが)の和製アンチパターンであると言えると思います。

さて、ディスカバリーの話に戻ります。先ほどは、国内企業の不利を正すため、というようなある種きな臭い理由付けをしてしまいましたが、ここにもう一つこのテーマが国内でのECM活用に繋がるはずだ、と私たちが考えるようになったポイントがあります。

完成図書だけが証拠ではないのです。現代の業務環境においては、ディジタル情報の形で文書・コンテンツが生成されていく過程の付帯情報も自動的に大量に生み出され、原理的にはその補足と管理も可能なのです。そして、司法もそのようなかつては揮発してしまった「言った言わない」のような情報までも、証拠性を認めうるとしています。しかも、先述の悪魔の証明の議論までついてくるのです。

eディスカバリー制度というものの存在が、生産性向上のような攻めのニーズだけでなく、コンプライアンス的な守りのニーズの文脈からも、紙を前提とした完成図書管理が時代遅れであることを端的に示している、と言えると思います。

ECMサミットでは私は冒頭のナビゲーションと最後のご挨拶だけですが、より深い知見や経験を元に各社のスピーカーから、さらに具体性をもったお話が聞けるのではないかと思います。

例によって大変冗長な記事になってしまいましたが、是非とも会場に足を運んでいただけらたら、と思います。

よろしくお願い致します。

(文責 Ishii Akinori IT-Coordinator)