2014年4月9日水曜日

ECM普及の日米格差問題について

最近弊社のブロガーミーティングが復活したということで、私も参加して一緒に書くことにしました。


そのわりにはいきなり硬いテーマです。私のキャリアの半分くらいはこの問題を中心にまわっていると言えるかも知れません。「なぜ日本ではECMは売れないのか?」市場規模として米国の10分の1以下とも言われています。


この問題については、これまでも色々な人の色々な意見を聞いてきました。



  • 日本人は紙が好き。(ペーパーレス化のタイミングで紙を廃棄するという不可逆でリスキーな意思決定をするのを嫌う)

  • 日本では人材の流動性が低い。(業務コンテンツの所有権を組織側で吸い上げて属人化させない、とか、硬直的であってもシンプルで効率的なワークフローを導入する、などのモチベーションが相対的に低い)

  • 日本ではユーザ部門の発言権が強い。(パッケージの素っ気なく汎用的なUIなど受け入れられない。文書登録の手間が飲み込んでもらえない)

  • ミドルウェア的なものや、コンテンツの1ファクト1プレース化などの、抽象的なコンセプトのレベルでの優位性が評価されない。(個別プロジェクトでのコスト評価ではメリットが出せないため稟議が通らない)

  • 日本にはエンタープライズ規模導入は視野に入れないかわりに比較的低価格で海外製品よりも使い勝手が良い「文書管理ソフトウェア」が多数存在する。

  • e文書法などの制度が諸外国との環境上のギャップを生んでいる。

  • メインフレームが未だに高いシェアを誇っている。(オープンな技術でコンテンツ管理をするモチベーションが低い)


業界によっては上記のどれもが当てはまることもあるでしょうし、そうでない場合も当然あると思います。実際には複合要因ということかもしれません。しかし、いずれにしても全体のトレンドとして、日本のビジネス環境もグローバル化を迫られている方向にあり、幾つかの条件は徐々にあたらなくなっていく方向にあるのではないかと思います。


また、最近よく見かける言説でもありますが、日本のSI業界の特殊性というもの関係していそうです。厳密には、それこそ米国との違いということなんですが、日本では顧客からSIerへの丸投げ、受けたSIer側での多重下請構造、という奴です。(この分業については日本独自とは言い切れないと聞きますし、ECMはヨーロッパでもアジア諸国でも順調に売れているので、現時点では本当に大雑把な物言いになってしまうんですけど)


ECMは、各ユーザ(主にナレッジワーカ)が産み出したり業務システムが出力したりするコンテンツを、ポリシーにあわせて管理できる、ということに価値があります。業務プロセスやユーザ・組織が変わっても、コンテンツに一貫したポリシーを適用していくことができる。業務システムの刷新があっても、データ部分であるコンテンツの一貫性を担保しやすくなる。長期的なメリットにその本質があるわけで、個別のシステム導入プロジェクトの単位では、そのメリットが生まれることはほとんどないわけです。(モデリングとかデータのハンドリングを独自実装するよりECMのAPIを叩いた方がスマートであるとかって話はもちろん別途ありますけど)


その為、プロジェクト単位のお付き合いである外部専門家よりも、長期的な視点で自社のメリットを考えるポジションから見て初めて魅力的ということです。その割にはテクニカルでビジネスユーザにとって直感的ではない。それが、テクノロジ面での専門性を持つスタッフを内製化していることが多いとされる米国で受け、逆に日本で受けていない理由ではないか、ということになります。


この説明が現状を正しくうつしとっているかどうかはわかりませんが・・・(前述の米国以外の話からも怪しい部分があります)


 


いずれにしても私としてはECMは日本企業にとっても導入するメリットのあるコンセプトだと考えていますし、その普及を進める施策を打っていきたいと考えています。


今時点で考えている(あるいはすでに実行している)アクションは以下の3つです。



  1. 個別プロジェクト単位の投資判断の中にも滑り込ませられるような低価格でシンプルなECMリポジトリの提供。要するに、NemakiWareの開発

  2. ユーザ部門側の抵抗を生まずにECMリポジトリへのコンテンツ登録を推進する仕組みの提供。要するに、CmisSyncの開発

  3. ミドルウェアとしてのECMの経済価値の評価方法の整備(サービス指向アーキテクチャや疎結合の正当化のようなイメージです)


今後ここでも、それぞれのアクションについての進捗をご紹介できればと思います。



(文責 Ishii Akinori IT-Coordinator)