2014年6月10日火曜日

超交流会、行ってきました

ベンチャーやるなら「企業向け」でヨロ! - 京大情報学同窓会 超交流サイト: "このセッションでは、エンタープライズITのポテンシャルとオモロさについて、事例をおりまぜながら、コテコテに議論してみたい。"



母校の同窓会イベントに初参加してきました。



と言っても、我が母校は宿命的に権威的なものに冷淡というか、標準では群れることを良しとしていないというか、社交性のある人間が多数派を占めていないというか、なかなかに難しい環境だということもあってか、このイベントは参加者(出展側も含めて!)に同窓生や関係者であることをまったく求めていないという極端な仕様になっています。



実際、この形式を導入する前の同窓会は、閑古鳥が鳴いてるどころではなかったらしいです。2001年卒業の私が2期生の若い組織だってこともあるんだとは思いますが。



で、第6回目の今回、一般参加を飛び越えて登壇者として初参戦してきました。交流なんて柄ではないんですが(書いてるそばから直流の対義語にしか見えない)、結果としては非常に面白く、刺激になりました。勢いあまって、移民受入論の後押しをしはじめそうなくらいです。「単体での発展性に限界を感じているが、独自性には一定の自信を持っている集団が、外の血を入れて活性化」してる感じです。(移民の話で血という表現は生々しい気もしますが、あくまで慣用句です)



まずは前夜祭



今回、中心人物であるクエステトラの今村さんにお声がけ頂いた関係で「登壇者」扱いだったということもあり、前夜祭と銘打った前日の飲み会からまず潜入してきました。個人的にはまずこれが良かった。交流会で名刺交換とか本当に苦手なので、ゆっくり座って喋ることができる環境で顔見知りを増やしていくことができたのには本当に助けられました。



席も元同期や現在の仕事仲間を共通の知人とする人達に囲まれる感じで、これが同窓の良さかと勝手に追い風を感じていました。よく考えなくても元同期は京大関係ないんですけどね。



前夜祭でお話してくださった皆さん、本当にありがとうございました。おかげで相当気持ちがほぐれました。



ブース出展



一応僕も副社長でビジネスを背負っている訳ですから、会社案内と自社製品ポスター&パンフレットによるブース出展なんかにもチャレンジしたんですが、これはちょっとイマイチだったかもしれません。登壇中は放置ですし、他の面白い話もなかなか聞けにいけないので。



協賛はしたいし、そこで学生さんをはじめとした色んな人を捕まえてアピール、ってのも大事だと思うので、ブースを出すこと自体が間違ってるということはないと思うんですが...



そして登壇



冒頭のリンク先を見て頂ければ一目瞭然ですが、何故か有名人・実力者揃いのメンバーにどう考えても場違いなのが混じり込んだ感じ…



正直なこと言うと、かなり不安で憂鬱な感じだったんですが、結果としてはかなり良いセッションになったんじゃないかと思ってます。(実際は、聞いて下さった方々の感想を聞かないと分からないですけどね)



始まる前は、
* 就職氷河期以降を代表して年長者に噛みつく
* コミュニケーション弱者を代表して「個人客が怖いからBtoCはやらない」と喧伝する
* ひたすら追従して聞き手代表みたいな顔をする



などの姑息な作戦をいくつか脳裏でもてあそんでいたんですが、そんな面倒なことをする必要はありませんでした。(し、その余裕もなさそうでした。そもそも白髪が増えてますます年齢不詳な感じになっているので、私だけが年齢的に下っ端というのもどこまで共有されていたかわかったものではないらしいです)



内容は多岐にわたったので、なかなかまとめられませんが、米国でのエンタープライズ向けソフトウェア市場の活発な動きや、ベンチャービジネスという意味でのコンシューマ向け市場の行き詰まり感の話と、日本にもまだまだチャンスが眠っているという感覚の共有などは、聞く人が聞けば結構意義のある話になっていたような気がします。



しかし、ウルトラマンのお面は出てくるわ、バックに見知らぬ資料が大写しになるわで、本当に冷や冷やしましたが、よくあそこまで綺麗に話が進行したものだと思います。大人凄い。



そう言えば、直後に頂いた感想に、「面白かったです。でも、学生さん、聞いてわかるんでしょうか…」というのがありました。確かに! と思い、もう少し親切な表現もあったかな、と若干反省もしましたが、こういう話を聞き流すだけ聞き流しておくのも悪くない気もします。



最後に自分が学生の頃聞き流していた話など



京大に入学してすぐ、教授会主催かなにかのレクリエーション&懇親会のような席である先生が、「東京という政治の中心から距離をおいているので、京都には物を考える上でも独特の環境がある。それが東大との違いだ」というような話をされました。



私は関東出身ですし、メディアも発達した現代社会でこの程度の「距離」に意味があるとは思えませんでしたし、狭い国土の中で無用に東大を意識しているようで何となく興の冷める挨拶だな、とその時はこの挨拶にはあまり良い印象を抱きませんでした。



その後、関東に戻り、東京でのビジネス経験を十数年積み、少し考え方が変わってきたのを感じます。どんなコミュニティにも独自性や慣性のようなものがある。技術で距離を乗り越えても、そんなに簡単に均質化されるものではない。また、そこに何かのチャンスがあると考えるのは自然なことだと思います。



ただ、チャンスというだけあって、この独自性の活用、のような話は説明がとても難しい。例えば、最近は国力の衰えからか「実は凄い日本人」的なメッセージが乱発されていて、個人的には正直言って食傷気味なところがあります。でも、その多くは個別に見ていくと、「日本人」なんていう大雑把な繰りで損なわれた自信を取り戻したいというステレオタイプで暗い欲望などではなく、本当にそれまで光があたらなかったものに対するリスペクトから出発していることがわかったりします。



交流に対して腰を持ち上げるのに6年もかかった非社交派としては、このあたりの行き違いを摺り合わせて、コミュニティの影響力が外に大きく作用させられるようなお手伝いができるといいな、と感じました。



例によって最後が抽象的な話でぐだりましたが、とりあえず、ご報告まで。



(文責 Ishii Akinori IT-Coordinator)